わたしと時間と宇宙

わたしと時間と宇宙

かけがえのない時間と宇宙の神秘が、私に教えてくれること。

わたしとチーズとりんご(番外編)

 ベースとなるもの、心の中にありますか?

 

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著者:スペンサー・ジョンソン

書籍:扶桑社

<左>《チーズはどこへ消えた?

<右>《迷路の外には何がある?》

 

 

これが手に入れば幸せになれるというチーズ

チーズが無くなった時、チーズの代わりになるというりんご

もしくは

“新しい”チーズに出会う為のキッカケを作ってくれるというりんご

チーズにたどり着く為の、通らざるを得ない迷路

 

迷路から抜け出す方法はあるの?』

わたしは、迷路から抜け出すヒントが欲しかった。

 

例え、上手く迷路から抜け出せなくても

そこには

理屈じゃない、道理じゃない、人の心があり、古いチーズ思い出に変わる。

 

 

今までの記事はコレ。

mizuki-time-space.hatenablog.com

mizuki-time-space.hatenablog.com

 

 

今回は、番外編!

🌸それは、突然訪れた!🌸

それは

いつもの時間が流れ、いつもの日常に、予期せぬ出来事が始まる通知だった。

宛名は、“〇〇建設株式会社”という、知らない不動産関係の会社。

《所有権移転のお知らせ》という内容の文書が、ポストに入っていた。

大家さんは雲隠れ?留守にしている。

 

当時

パパは病気だったけど健在で、パパとママとわたし、3人で賃貸アパートに住んでいた。

ウチの家族だけではなく、住人全員がワケわからない状態。

区画整理でもなく、家賃滞納でもなく、何の前触れもなく

 

『これって、立ち退き?』

 

人から聞いた話や、映画・テレビドラマの世界でしか立ち退きを知らなかったわたしは、ただただ茫然とした。

 

『わが家って、無くなるものなんだ・・・。』

『こういうことって、ホントに起こるんだ・・・。』

わたしは数日間、『・・・。』が消えなかった。

この時のわたしは、現実を素直に受け入れることはできなかった。

 

弁護士に相談したり、周囲の人に色々聞いたりしたけど

最終的には、身内の事情も重なり

パパとママは、茨城に住んでいるママの独り身のお姉さんと同居。

わたしは、仕事の都合もあり、ひとり暮らしという結論になった。

 

ここから、嵐のような出来事が始まった。

仕事と同時進行。

心もカラダもクタクタ。ボロボロ。

わたしもママも、安定した精神状態は得られなかった。

身内内でも意見が割れたり、様々なことがスムーズに進まなかったり、色々あったしね。

 

🌸『知らねーよっ。』の一言に尽きる🌸

人間、動く時は動く。

動かざるを得ない時は、動く。

現実を素直に受け入れられていなくても、動くしかない。

動いていても、何を聞かれても、現実逃避の言葉しか出ない。

 

『知らねーよっ。』

 

上手く言えないけど、本能という言い方をしてよいのかわからないけど

現実を素直に受け入れられなくても、危機感を感じて、生き延びる為に行動を駆り立てられるような感覚になる。

 

今、冷静に振り返って、当時の出来事をこの物語に当てはめると

“新しい家”というチーズを求めて

“あらゆる情報と身内の意見”というりんごを掴んで

“家族の人生”という迷路に入ったけど

じっくり考える余裕はなく、ひたすら突き進むしかなく、手に入れたチーズは、“別々の新しい家”というチーズだった。

 “別々の新しい家”というチーズは、見方を変えれば

『これは、新しい人生の幕開けで門出と捉えよう!』と、前向きに思うことができればよかったのかもしれないけど

現実には、そう思えなかった。

 

🌸古いチーズは、思い出のチーズ🌸

立ち退きの話が出てから、パパの病状は悪化した。

パパにとって立ち退きは、わたし達以上にショックな出来事だったんだと思う。

新しい家で、パパの新しい人生の幕開けは訪れなかった。

パパと病室で交わした言葉は、生涯忘れることはないと思う。

 

『あの家に帰りたい。』

『でもパパ。あの家はもう無いんだよ。』

 

パパの一言は、一連の立ち退き作業より、何倍も何百倍も辛かった。

どんなに古くたって、どんなに狭くたって、“古い家”にしがみつくよ。

だって、思い出の家だもん。

 

🌸理屈じゃない、道理じゃない、人の心🌸

『あの時、こうしていればよかった。』と思うことは、たくさんある。

 

『冷静な判断ができていれば、もっと段取り良く進めることができたのではないか?』

『パパにとっての立ち退きは、わたし達が思っている以上に、パパのメンタルにダメージを与えるものだと、もっと早く気付けなかったのか?』

『身内の事情や意見もあったけど、茨城へは行かず、住み慣れたこの街に留まることを、もっと強く押し切ればよかったのではないか?』

 

こんなの言い出したら、キリがない。

 

パパの寿命は、元々持って生まれた寿命だったのかもしれないし、この立ち退きが寿命を早めたのかもしれない。

それは、わからない。

ただひとつ言えることは

こんなことになるんだったら、パパが生きている時間、パパと過ごす時間をもっと意識すればよかった。

 

『わが家って、無くなるものなんだ・・・。』

『こういうことって、ホントに起こるんだ・・・。』

『あの家に、帰りたい。』

『でもパパ。あの家はもう無いんだよ。』

 

“古い家”というチーズは、思い出に変わるんだね。

楽しい嬉しい思い出、重く辛い思い出

どちらも時間を経て、美しい思い出として心に残すことができたら、どんなにラクだろう?

こう思っている時点で、わたし自身がパパに対して、何か踏ん切りついていないのかもしれない。

 

生きていると、様々な出来事に遭遇する。

事前に情報をキャッチできる時もあれば、キャッチできない時もある。

降りかかる出来事を受け入れられる時もあれば、受け入れられない時もある。

この物語が教えてくれたことは、生きていく上で意識するべきことだと思うし、大切なことだと思う。

でも

物事の筋道という理屈や、“正しい”というものの道理では説明できない、人の心というものがある。

 

この物語のおかげで、久々に立ち退きの過去を思い出した

パパは亡くなってしまったけど

パパへの後悔の念が残っていること、この物語のおかげで気付くことができた。

 

衣食住と家族というチーズ

代わりなんてない、どんな形でもいいチーズ

これが

わたしにとって、ベースとなるものなのかもしれない。

“立ち退きの一連の出来事”という迷路は、上手くけ出すことはできなかったけど

そこには

理屈じゃない、道理じゃない、わたしがあり

“古い家”というチーズは、思い出に変わるけど

パパへの後悔の念を昇華させる為の迷路に、これから入っていくのかもしれない。

 人生って、迷路がたくさんあるんだね。