わたしと時間と宇宙

わたしと時間と宇宙

かけがえのない時間と宇宙の神秘が、私に教えてくれること。

わたしと家族

家族と過ごす時間、意識していますか?

 

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🌸わたし的意識🌸

わたしは、その日の月星座を意識して、日々過ごしている。

【そこにどんな意味があるのか、宇宙の意図は何だろう?】

 

🌙~エピソード~昨日は蟹座♋のお月さま🌙

昨日、ママに会いに行った。

というのも、来週お彼岸なんだけれども、わたしの都合が悪かったので、1週間前倒しした。

そう言えば、昨日は蟹座♋のお月さま。

ママは、茨城県潮来市に、伯母(わたしは”おばば”と呼んでいる)と住んでいる。

 

わたしはいつも、東京駅発の高速バスに、朝早く乗る。

潮来に着いたら、いつも利用しているタクシーを呼んで、家まで乗せてもらう。

身内御用達なので、何も言わなくても家まで連れてってくれるし、少し手前でメーターを止めてくれる。

有り難い。

家に着いたら、手を洗って、仏壇にお供え物、お線香をあげて、朝ごはん。

いつも、この流れ。

 

朝ごはんに、いつもリクエストするのは卵焼き。

砂糖多めの、少しお醤油が入っている卵焼き。

特別『おいしい!』というワケではないけれども、わたしの子供時代の味で、たまに食べたくなる思い出の味。

そして

2日前から煮込んだ切り昆布の煮物を、わたしはママに渡した。 

ママは『おいしい!』とも言わず

『うん。うん。味は悪くない。』と言いながらも、パクパク食べている。

だったら『おいしい!』って、言ってくれればいいのにね。

『生きている間に、アンタの手料理食べておかなきゃね。』

相変わらず、気が利く言葉が言えないママ。

 

朝ごはんを終えて、墓参り。

ママが墓掃除。

わたしは、2つのバケツに水を汲んだ後、墓の周りの雑草抜き・落ち葉拾い。

いつも、この流れ。

パパは、3年前に亡くなった。

『パパも、ご先祖様も、生きているわたし達が、こうやって墓参りに来たこと、喜んでくれているのだろうか。笑ってくれているのだろうか。あの世で平穏無事に暮らしているのだろうか。』

そう思いながら、手を合わせながら

『あたし、来たよ!』と、いつも言う。

モチロン、返事は無いけど(返事があったらコワイけど)『来てよかった。』と思う。

子供の頃は、墓参りがめんどくさかった。

大人になってからは、むしろ、墓参りが好きになった。

なんでだろう?フラットになれる自分がいる。

 

墓参りの後、入院しているおばばにお見舞い。

体力も無く、自力で食べることも、歩くこともできなくなって、ずーっと寝ている状態。

スベリ止めが付いている春物の靴下と、おやつにみつまめを持っていったんだけど、わたしが思っていたより、状態が悪かった。

料亭でバリバリ働いて、気丈に振る舞っていたおばばの印象が、わたしには強く、懐かしくもあった。

ママの兄弟姉妹の中でも、1番気が強い。

弱っているおばばに、なんとも言えない気持ちになった。

わたしがお見舞いに来たこともわからず、ママとわたしは、病院を出た。

 

病院を出た後、いつものカフェに行った。

挽き立てのコーヒーが、とってもおいしくて、ママは必ず、おかわりをする。

そして

ピッツァを注文する。

これもまたおいしくて、まあるいピッツァを、ふたりで半分こする。

お腹もそこそこいっぱいになり、スーパーに寄って、夕飯の買い物をして帰る。

いつも、この流れ。

 

わたしの帰る時間に合わせて、ママは、様々なお土産を準備してくれる。

煮物・炒め物・鮭のカマ焼き・みそピー・・・などなど、ママの手料理を中心に、たくさんのおかずを持たせてくれる。

これも、いつもの流れ。

ママも大変だし、わたしも持って帰るのが大変だから、はじめのうちは断っていたんだけど、今は、遠慮なく持って帰ることにしている。

ママも、離れて暮らす娘に、何か手料理を持たせるのは嬉しいみたい。

『ママの手料理を、いつまで食べれるのだろう。』という、わたしの気持ちもある。

ママが元気なうちは『甘えておこう。』と思った。

仕事の都合上、日帰りで帰ることが多いので、”いつもの流れ”で過ごすことが多いけど、ありきたりな流れが心地よかったりする。

そして、夜

わたしは、東京駅行きの高速バスで帰ってきた。

 

🌙わたしにとっての蟹座♋のお月さま🌙

蟹座♋キーワード:家族関係・親子・家庭・心の拠り所・支える・理解する・感情をコントロール・心穏やか・リラックス・プライベート

 

ウチは、家族関係が上手く機能している家族ではない。

今までママに対して、恨み・憎しみ・怒り・・・様々な思いを抱えてきた。

お互い年齢を重ねて、丸くなってきた部分・消化されてきた部分・そして、諦めの部分により、少しずつ距離が縮まってきたかもしれない。

ママとわたしにとって、パパが亡くなったことは大きいんだと思う。

ママが年老いて、残された家族と、残された時間を意識するようになった。

『過去に何があろうと、親子であり、家族なんだなあ。』と。

 

本来、家族って、家庭って、”心の拠り所”となる場所かもしれないけど、ウチの家族は誰ひとり、そういう場所として認識していなかったと思う。

わたしには、異父兄姉がいる。

わたしが物心ついた時には、家族全員が、それぞれ違う方向を見ていた。

自分が成長するにつれて『ウチは、ふつうの家庭とは違うんだ。』ということが、わかってきた。

親が年老いて、自分も大人になって

”支え合える”、”理解し合える”、家族になりたい。』と、思うようになった。

それぞれが年齢を重ねて、昔よりは感情をコントロールできるようになった?とも思うし、心が穏やかになれる環境・リラックスできる関係が築けるよう、ママにも、姉にも、連絡を取ったり、会いに行こうと思う(兄は行方不明)。

 

プライベート時間を、もう少し家族時間に充てよう。』

 

ママの手料理は、遠慮なく、これからも作ってもらおう。