わたしと時間と宇宙

わたしと時間と宇宙

かけがえのない時間と宇宙の神秘が、私に教えてくれること。

わたしとママと鹿

鹿ちゃん♡に、会いに行ってみませんか?

かわいいよ!

 

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🌸わたし的意識🌸

わたしは、その日の月星座を意識して、日々過ごしている。

【そこにどんな意味があるのか、宇宙の意図は何だろう?】

 

🌙~エピソード~昨日は魚座♓のお月さま🌙

『鹿ちゃんに会いに行こう!』

そうママと約束をして、昨日、鹿島神宮に行ってきた。

わたしの母方の田舎は、茨城県

 

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子供の頃は、夏休みによく連れて行ってもらってた。

大人になってからは、何回行ったかな?

子供の頃の記憶の方が、鮮明に覚えている。

自分のカラダが小さかったからか、あの頃は、木々がとてつもなく大きく感じられた。

修復中のところもあったけど

高くそびえ立つ木々に囲まれて、都会とは違う澄んだ空気で、自然に触れている感覚を味わうことができた。

 

昨日は

魚座海王星癒し・浄化

牡牛座・金星⇒わたしの月星座

山羊座土星神社

それぞれの星座がルーラー(支配星)を従えて、お空に小三角形を描いていた。

そして

今回の魚座のお月さまは、下弦のお月さま。

現在、蠍座満月シーズン。

ママの月星座は、蠍座

 

なにか、癒さなければならないものがあるような気がした。

 

🌙鹿ちゃんは、鹿島神宮の神使🌙

モチロン、お参りも目的だけど

わたしとママのもう1つの目的は”鹿ちゃん♡”。

鹿ちゃんに、にんじんをあげる為。

 

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鹿島神宮の鹿ちゃん♡ちょっとアングル悪いけど~

 

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~ママの手と、にんじんを食べる鹿ちゃん♡~

 

かわいいんだよね。

にんじん欲しさに、どの鹿ちゃんも必死なんだけど

カラダの小さい鹿ちゃんは、カラダの大きい鹿ちゃんに、力ずくでにんじんを奪われてしまう。

にんじんをあげているうちに、わたし達(観光客)もそれをわかってきて

カラダの小さい鹿ちゃんににんじんをあげようと、わたし達も必死になる。

 

わたしより、ママの方が鹿ちゃんにハマッたみたい。

振り返るとママがいない。

気付けば

売店に、おかわりのにんじんを何度も買いに行っていた。

結局、鹿ちゃんのかわいさにハマリ

一皿¥100のにんじんを、わたし達は¥1300もにんじん代に使ってしまった。

 

そんなかわいい鹿ちゃんは、”鹿島神宮の神使”。

バクバクにんじんを食べている姿からはほど遠い気もするけど、”鹿島神宮の神使”。

”神鹿”と呼ばれている。

鹿島神宮にとって、神聖な動物なのね。

 

🌙ママは、やっぱり”ママ”🌙

『あと何回、ママとお出かけできるのだろう?』

ママと会う度に、そういった意識が頭の中をよぎる。

ママが高齢になった分、離れて暮らしている分、意識する機会が増えた。

  

 鹿島神宮のお参りが、たまたま下弦のお月さまと重なってしまったけど、心の中の巣作っている部分を癒さなければならないような気がした。

 

『子供の頃からの空虚感や大人になってからの虚無感が、まだ解消されていないことに気付いた。』

 先日、《わたしと銀河鉄道の夜》の記事で綴ったばかり。
mizuki-time-space.hatenablog.com

 

”子供の頃からの空虚感”は、家庭環境の影響が大きい。

わたしが物心ついた時には、家族全員が違う方向を見ていた。

ママに対して許せない気持ちは、今でも完全には消えていない。

何度言い合いをしたか、手が飛んでこようと、ガラスの破片が飛んでこようと、何をどうやっても和解という形を得られたことはない。

『なんで、お前が母親なんだ。』

何度思ったことか・・・。

 

わたしが子供の頃から、ママは病気がち。

病気がちなら大人しくしていればいいものの、病気がちなクセして、家にいる時間は少なかった。

『ママ、どこ行ったんだ?』

いつも、パパが聞く。

『知らなーい。』

『買い物じゃない?』

理由はわかっていても、パパには話せなかった。

大人になっていなくても、子供は大人に気を遣うんだね。

 

ママの悪行を綴るとキリがない。

でも

不思議なんだ。

ママが 命を落としそうな時

『ママ、死なないでー!』

『神様、ママを連れていかないでー!』

わたしは、泣きわめく。

姉は涙ぐんでいながらも、涙は流さない。

この時

『おねえちゃんは、やっぱり”おねえちゃん”なんだ。』と思った。

 

わたしも姉も、ふだんママの悪口よく言っているけど、

『ママは、やっぱり”ママ”なんだ。』と思った。

何があろうと

わたし達にとって、ママは”ママ”なんだ。

 

昨日を振り返って

『ママとの関係が癒された~。スッキリした!』と、感じているワケではない。

鹿ちゃんには癒された♡

わたしもママも、神使である鹿ちゃんには癒された♡

ただ

お互い年齢を重ね、離れて暮らしている分、お互いを思いやる気持ちは、以前より増えたと思う。

 

『あと何回、ママとお出かけできるのだろう?』

 

そう意識しなければ、わたしは後悔すると思う。

ママが命を落としそうになった時

病院の先生から、『覚悟して下さい。』と言われた時

あの時の光景は、今でも覚えている。