わたしと時間と宇宙

わたしと時間と宇宙

かけがえのない時間と宇宙の神秘が、私に教えてくれること。

わたしと本当の本音(番外編)

反応する自分と、反応しない自分。

違いは何ですか?

 

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ふと、映像の世界を思い出した。

感動する映像と、感動しない映像の違いは、自分の反応とどういう関係にあるんだろう?

心の琴線に触れることが、なぜ『大切だ。』と言われるのだろう?

五感を研ぎ澄ますことが、なぜ『大切だ。』と言われるのだろう?

 

書籍やブログで、理屈や道理は習得できても、人の心は、理屈や道理では説明できない。

その理屈や道理では説明できない自分の心をわかってあげられるのは、自分だけ。

 

本当の本音を知ることが、生き方・価値観を変える第一歩。】

 

 

今までの記事はコレ。

mizuki-time-space.hatenablog.com

mizuki-time-space.hatenablog.commizuki-time-space.hatenablog.com

 

 

 前回の続き。

🌸なぜ、感動しない?《ボヘミアン・ラプソディ》🌸

大ヒットした映画だから、ご存じの方は多いと思うけど

Queenのボーカル、フレディ・マーキュリーが主人公の伝記映画。

様々な葛藤の中で生き、孤独に苛まれ、自分自身を傷つけ、自分を見つめ直し、本来の自分に戻り、この世を去る。

人間の内側で起こっている葛藤と孤独に焦点を当てている映画。

この葛藤と孤独が、生き方・価値観に値する。

この映画の大ヒットの背景には

『いかに、葛藤や孤独に苛まれている人間が多いか?』という、現代社会の在り方が見える。

だからこそ

共感する人が多く、大ヒットに繋がったんじゃないかなあ。

この映画を観た人のそれぞれの波動(周波数)が織りなすことで

メトロノーム同期のように共鳴が生まれ、共感多数という大ヒットに繋がる。

 

わたしは、フレディ・マーキュリーを演じた、ラミ・マレックの演技には感動したけど

この映画“ボヘミアン・ラプソディ”自体には感動しなかった。

わたしの周りでも共感している人が多い中、わたしは、賛否両論の“否”の方。

冷めた目で観ていた。

『葛藤や孤独なんて、人生にはつきものなんじゃないの?』

『なんで、こんなに大ヒットするの?過剰過ぎ。』

こう思った時は気付かなかったけど、今思えば

たぶんわたしは

『幼少期・思春期の頃から、“葛藤や孤独は当たり前”だと思っていたんだ。』と思った。

遊びたい盛りの幼少期であれば、葛藤や孤独を分かち合える友達なんているはずもない。

“葛藤や孤独は当たり前”という考え方自体が、生き方・価値観に影響を及ぼす早期不適応的スキーマに犯されているということに、今回気付いた。

 

🌸なぜ、感動した?《マルモのおきて

『こんなドラマだったんだー。』

たまたま適当にYouTubeを観ていたら目に留まった。

試しに第1話を観たらハマってしまい、最終回まで一気に観てしまった。

泣くとは思わなかったけど、泣いてしまって、次の日眠いし、目は腫れてるし・・・。

 

こちらもご存知の方は多いと思うけど

その当時のテレビドラマの中では高視聴率で、スペシャル編も放送された。

 

阿部サダヲさん演じる“マルモ”と

芦田愛菜ちゃん・鈴木福くん演じる双子の子供、“薫・友樹”が

紆余曲折しながらも家族をつくり上げていくホームドラマ

亡くなった親友の双子の子供を引き取った“マルモ”が

子どもの寂しさ・悲しみを受け止め、子供の心を愛情で満たし、癒していく。

愛菜ちゃんと福くんがかわいいのはモチロンのこと

子どもの『本当は~してほしい。』を叶えてあげる“マルモ”の姿に感動してしまった。

何回も観て、何回も泣いて

おまけに、薫と友樹、たまにムック。の《マル・マル・モリ・モリ》も、何回も聴いてしまった。

誰かに『何話が好き?』と聞かれたら、『全部。』と答えると思う。

『どのシーンが好き?』と聞かれたら、『このシーンのこういうところ。』って、答えられると思う。

この自分の反応に、自分でもビックリだった。

 

こういう映像を観た時って

カラダが震えたり、感動極まり、映像を観た後も心臓がドキドキしていたりする。

自分のカラダの水(細胞)が反応している証拠・・・つまり波動(周波数)。

水は、情報を転写する。記憶する。

半分以上が水でできているわたし達のカラダに、いかに、良い情報を与えるか?

 

なんかホッとするような、温かいような、何かに包まれているような・・・

“心の琴線に触れる”って、こういうこというんだろうなあ。

こんな感覚を得ることができたのは

『本当は、わたしもこうしてほしかった。』が、随所に散りばめられているから。

わたしにとって、《マルモのおきて》は、本当の本音を満たす為の疑似体験だった。

 

 

余談だけど

わたしが定期的に通っているストレッチのトレーナーが言った、この一言。

『ぼく、自分の好きなスポーツのビデオ、何回も観て何回も同じところで泣くんですよ。』

“心の琴線に触れる”体験を、自ら体験しに行っているんだよね。

『自分自身が、何に反応を示すか?』が、わかってる。

しかも、泣くほどまでに。

 

🌸マインドフルネスって、映像を観る感覚に近いのかな?🌸

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<参考>

著者:伊藤絵美

書籍:アスク・ヒューマン・ケア

スキーマ療法~

書籍:医学書

~ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法Book1/Book2~

 

 

★セルフモニタリング

⇒自己観察。自分で自分を眺める。

マインドフルネス

⇒自分の体験(自分を取り巻く環境や自分の反応)に、リアルタイムで気付きを向け、受け止め、②味わい、③手放すこと。

   ↓↓↓ つまり

①“好き嫌い”で判断せず、“良い悪い”で判断せず、②一切コントロールせず、③“消える”に任せてお別れする。

 

<わたしの疑似体験《マルモのおきて》>

自分を、“薫・友樹”というフィルターに一度通す・・・というより、勝手に通ってしまった。

リアルタイムで気付きを向け、受け止める。

⇒『こういう出来事ってあるよね。そうそう。』

②味わう

⇒『そう感じるよねー。そう思うよねー。』

③手放す

⇒涙を流す(浄化)。スッキリした感覚。

 

 “好き嫌い”“良い悪い”で判断するのは、映像を観た後。

これが、賛否両論。

少なくとも映像を観ている最中は

『わたしも、同じような体験したわ。そう、感じるよねー。』と、思い出すことがあっても

ストーリーはどんどん進んでいっちゃうから、感じるがまま。自分をコントロールする暇がない。

感動し、共感し、涙を流したり、スッキリした感覚を覚えても、余韻は残っていても、時間が経てば、心は落ち着いてくる。

マインドフルネスのニュアンスって、こんなかんじなのかなあと思った。

(伊藤絵美氏は、書籍の中で、『疑似体験をして、ニュアンスを掴め!』とは述べていません。わたしなりの解釈です。)

 

🌸時間も、空間軸も、誰でも。🌸

自分を大切にするって、今までわかっていなかったと思う。

頭も心もカラダも、自分をまるごと見てあげることだったんだ。

Happy♡な出来事なら、いつでも『Welcome!』だけど

嫌な出来事ほど、自分を見ていない。

気持ちの方に意識を取られて、カラダの反応を見逃しがち。

『この人、キライなんでしょ?』『この分野、苦手なんでしょ?』『今、不安なんでしょ?』など・・・

カラダの反応って、色んなこと教えてくれているのにね。

 

五感を意識して、『そう感じちゃったんだー。』と思っても、上手く言葉にできないと、わたしの場合は不完全燃焼を起こす。

わたしは、感覚を表現する言葉を身に付けていない。

これじゃあ、自分の中で燃焼できないのも当然かな。

溜め込んだままになっちゃうもんね。

 

人生って、パズルのように思えてきた。

どんな環境であっても、どんな状況であっても

現在であっても、過去であっても

子供であっても、大人であっても

誰であっても、生きていれば様々な出来事に遭遇する。

自分にとって、嬉しい・楽しい出来事も、悲しい・辛い出来事も

様々な出来事ひとつひとつが、人生における1つのピースなんだろうけど

このピースが上手くハマらないと、生きづらさを感じたまま生きることになるんだなあと思った。

自分に生きやすい生き方・価値観を見つけられれば、自然な形でピースが埋まっていくのかなあ。

認知が変われば、行動も変わるから。

 

“心の琴線に触れる”ことは

自分のクリアなライトな世界だけを指すものじゃない。

自分のダークな世界にも、指針を与えてくれる。 

 

『自分は、一体どうしてほしいの?』

『自分は、一体何を望んでいるの?』

『心の奥深くにある“本当の気持ち(真情)”は、なに?』

それが

生き方・価値観を変える第一歩。